「ゲーム」に関しての考察


ファミコン販売から35年。プレイステーション販売から22年。

ファミコン発売から35年。プレイステーション発売から22年。

ゲーム・ゲーム・ゲーム

電車に乗ると、スマホでゲームをやっている人を良く見かける。
私も昔はテレビゲームをやっていたものだ。

学校に行く前に早起きして、家族が起きてくるまでゲーム。家に帰って、夕食の準備が整うまでゲーム。
歳をとるにつれ、ゲーム以外のことにも興味が湧いてきて、最近はご無沙汰である。

近年ますますゲームの市場は発展しているように見える。
インターネットはゲームを使ったコミュニケーションを活発にした。
タッチパネル、VR、画像認識等、新しい技術がどんどんゲームに導入されている。スマホの普及で手軽にゲームを楽しむことが可能となっている。
ゲームをプレイすることで収入をえる「プロゲーマー」という職業も生まれ、専門学校では専用の科も作られている。

何故、人はゲームに惹かれるのか。

人がゲームをする目的とは

当たり前だが、人は楽しい時間を過ごすためにゲームを行う。
しかし、ゲームを行った人は誰でも経験があるように、ゲームをプレイしている間はずっと「楽しい」時間が続くわけではない。単純作業を繰り返すだけの退屈な時間もある。難しい課題をクリアできずにストレスをためることもある。
初めてゲームをする人が、苦しい場面ばかりをプレイし、かつ何も課題を達成出来なければ、負の経験だけで終わってしまうだろう。もう二度とゲームはしないにちがいない。
しかし、もう少し継続してゲームをプレイし、苦しい場面も通り越し、一時課題が達成できれば、その課題達成による快感やゲーム内で用意された様々な報酬で負の経験も帳消しになり、楽しい思い出が勝る。

一度、そのような経験を持てば、次回もゲームを行うときに、「ゲームを一通りプレイした時の総体としての楽しさ」を期待するようになる。多少、つまらない場面があったとしても、全ての課題をプレイした後のうれしさを想像して、より一層我慢が出来るようになる。
これを繰り返せば、ヘビーゲーマーの出来上がりである。

ゲームの「楽しさ」を生む要素とは

ゲームの「楽しさ」の主たるものは課題解決とそれに対する報酬と考えられる。
人は課題を達成するだけでも、脳内物質が分泌され、うれしいと感じるが、それをより一層増すために、ゲームでは報酬を用意している。

プレイヤーは、常に課題を突き付けられる。

エニックスの「ドラゴンクエスト」であれば、プレイヤーは当初、竜を倒し、姫を救出するという大きな課題を突き付けられる。
この大きな課題を解決するために、必要なアイテムを集めたり、モンスターを倒したりといった様々な中規模の課題をこなさなくてはいけない。
また、町から町へ移動する場合は、モンスターが幾度となく現れる。これも倒さなくてはいけない。一種の課題である。
それぞれの課題にはきちんと報酬が用意されている。
モンスターを倒せば装備品等を買うためのゴールドや、主人公を成長させるための経験値を得ることができる。
アイテムを集めたり、中ボスと言われるモンスターを倒せば、ストーリーが進み、最終的な「竜を倒す」という課題に一歩近づくことができたり、探索できる範囲が増えたりする。

このように、ゲームの「楽しさ」の主たるものは多層的な課題とその報酬と言える。
さて、この課題と報酬についてもいくつか分類があるが、それは次回。